2018年7月1日、驚きのニュースが飛び込んできました。
あのフィギアスケートの高橋大輔さんが現役復帰すると発表したのです。
聞いた瞬間、誰もが「ええっ!」と驚きの声を上げたはずです。
次に感じたのが
「一体なぜ?」
でしょう。
そこのところ、いち早く情報を入手しましたのでお知らせします。
その前に高橋大輔さんがどれほど凄かったのかをおさらいしましょう。
高橋大輔さんは1986年3月16日生まれ、2018年7月現在32歳。
岡山県倉敷市児島の出身です。
8歳のときから始めたフィギアスケートの練習場は自宅近くのウェルサンピア倉敷(厚生年金健康福祉センター)だったという根っからの倉敷っ子です。
家庭は決して裕福ではありませんでしたが、幼少の頃から地元の人々にかわいがられ、母親の勤めていた理髪店に「だいすけボトル」なるカンパ用ボトルが設置されていたことは有名です。
高橋大輔選手の実績
なんと言っても日本人男子として初めて世界選手権、世界ジュニア選手権、グランプリファイナルを制したことが挙げられます。
そして、トリノ五輪、バンクーバー五輪と出場を果たし、バンクーバーでは男子シングルの選手として初めてのメダルとなる銅メダルを獲得しました。
くどいようですが、男子シングルでは初めてのメダル獲得です。
岡山県倉敷市児島出身の選手がです。
これが至宝でなくて何でしょう!
高橋大輔さん、現役復帰の理由
トリノ、バンクーバー、ソチと五輪出場を果たした高橋大輔さんでしたが、2014年10月14日、岡山市内で現役引退を発表しました。
私たち岡山県民も
「ついに来るべき時が来たか」
という感慨にふけりながらも
「高橋選手、長い間お疲れ様。そして勇気と感動をありがとう!」
という気持ちで引退を見届けたものでした。
それからの4年間はプロとしてアイスショーに出演したり、ニュースゼロのキャスターとして活躍されていました。
2018年の平昌(ピョンチャン)オリンピックではフィギアスケートの解説やリポーターとして現地での興奮を伝えてくれていました。
ところが、2018年7月1日、突然「現役復帰」を宣言したのです!
もっとも現役復帰までの流れを聞いていると、決して突然ではなかったようなのです。
既に練習も現役時代並みにこなしていて、フリーのプログラムも出来上がっているとのことです。
それにしてもなぜ、今になって現役復帰なのでしょうか。
それについて高橋選手は(現役復帰されたのであえて選手と呼ばせていただきます)、
「今の自分が前に進むためには今一度選手に戻る必要があると感じた。」
と表現しています。
一ファンとして解釈するならば、やはりまだ燃え尽きた感がないのかなと、
やり残したことがあるのかなと、
あの一流選手同士がぶつかる緊張感の中に、今一度身を投じてみたいのかなと、
思ってしまいます。
普通、あそこまで実績を積み上げればもう身を削るような苦しい環境に身を置きたいと思わないと思うんですよ。
下世話な話ですが、収入的にも何不自由ないはずですから。
でも、大会の緊張感が彼を呼び戻すんでしょうね。
平昌五輪で羽生結弦選手や宇野昌磨選手の活躍をレポートしていたら、自分自身があの場所に立っていたい、と思うようになったのでしょうか。
それに近い感覚が実は2017年12月の日本選手権で感じられたようです。
その大会を解説者やレポーターとして見ていた高橋大輔さんでしたが、ある選手の滑りにとても心惹かれたというのです。
その選手は山本草太選手(17=愛知みずほ大瑞穂高)で、かつて羽生結弦選手や宇野昌磨選手とともに次世代のエースとして嘱望されていたのですが、2016年の世界ジュニア選手権直前に骨折し、それから1年半のブランクがあったのです。
しかし、長期のリハビリに耐え、リンクに戻ってきた姿に高橋さんは甚く感じるところがあったようです。
高橋さん自身も何度もけがにみまわれ、2008年~2009年のシーズンは全試合を欠場するという苦しい時期がありました。
同じようにけがによる苦難の時期を乗り越えた選手がリンクに戻ってきた姿に高橋さんの熱い血が騒いだのかもしれません。
元々、世界最高と言われるステップと卓越した表現力がある高橋大輔選手ですから、たとえ4年間のブランクがあろうともまた最高のステージで闘う姿見せてくれるのではないでしょうか。
ご本人も復帰後の目標は
「まずは今年の日本選手権で最終グループに残ること」
と明言されていましたから、ヒリヒリするような舞台を目指していることは間違いありません。
頑張れ!高橋大輔!
岡山県民はあなたを応援している!!!